03.24

  雨、鼻炎で一日の大半を寝て過ごす。 ミサにいかずじまい。
  昨日の映画、前半の平凡な市民が陥った恐怖の描写(これはそれほど
  うまいとは思わない)、後半の謎解きの面白さとの対比。
  とにかく観客を引きずり回す映画だ。 そしてこの結末はどうだろう。
  同じように不幸な青年時代を味わう二人の人間を対決させての
  「現代の直進的な若者への嘲笑」・・・これがこの映画の主張では
  ないのか? おそろしくショックだ。
  生きることの実感 → 犯罪 → 破滅 のルート。

  ここで「鼻炎」と呼んでるもの・・・どうも、花粉症のようです。   
  いまでも、悩まされている春の苦行です。
03.25

  昨夜、ぐっすり休んだせいか、どうやら鼻水は止まる。
  もっとも気分は優れない。
  午後、国立へ。 ちょっとした質問だけで面接は終わる。
  夜、第2放送。 「のろわれた人」スイス放送局のテープ。
  イタリア賞受賞作品。 面白い手法だし、音が安定していてよい。

  国立音楽大学の聴講生に対する面接でした。
03.26

  風邪は、どうやらよくなったよう。 アレルギー性の鼻炎だったようだ。  

  情報処理研究室の初顔合わせ。

  タイパ・プログラムで何か convert 以外の面白い遊びを考えてみたい
  と思うが・・・

  これまで「小局用 CAMA システム」の開発を担当していたのは
  通研の第2交換研究室でした。
  「大局用 CAMA 電子計算機」の開発を本格化するにあたり、
  新しい研究室が発足し、初代室長に 岸上 さんが就任します。

  参考:岸上利秋さん:日本のコンピュータ パイオニア

  岸上室長は、非常にユニークな方でした。 こまかなことには
  口を出さず、方向性だけはしっかりと示すというタイプの方で、
  直接仕事上の指示をうける立場ではなかった私でも、その人柄
  には感銘を受けました。
  室長室の黒板に書いてあった自宅の電話番号が、秘書に消された
  とき、「家の番号が分からなくなった」とぼやいていたのを今も
  思い出します。

  私の通研生活はこの研究室で本格的なものになるのですが、
  当時は名刺に書かれた「情報処理研究室」という文字を見た人
  の多くが、「何かスパイ活動に関係があるのですか?」と
  怪訝な顔をしたものです。
03.27

  昼休み、庭の芝生で日射しを楽しむ。 全く暖かくなった。
  5時より、保谷寮で学園卒業生の集まり。 9名参加。
  S11 さん、Y3 さんなどちゃんとした考えを持った人だ。
  通研の人たちとの交わりは実にあっさりしていて好ましい。

  通研にも、学園の卒業生がいたのです。
  A さんが持ちかけた話ではなかったかと思います。
03.28

  朝、9時まで寝過す。 午前中、タイパ・プログラム。
  午後、大局用プログラム。
  Received from T14 さん。
  グレアム・グリーンの「 The End of The Affair 」を読み始める。
  <時間の処理>が難しく、読みづらい。
 
03.29

  午前中、T15 さんに紙テープ読込ルーチンの手法を教わる。 
  なるほどと思う。 全く今まで見当がつかなかったことが多すぎるんだ。
  午後、本社へ。 打合せはできず、ちょっとした報告のみ。
  喉頭が少し痛い。 それと鼻風邪、あと口内炎も。 チョコラ服用開始。

  大局用システムのプログラミング言語は、タイパ装置のそれとは
  全く別のもので、頭の切り替えが出来ていません。
  通研の T15 さんの指導を受ける私でした。
03.30

  訓練打合せ。 S9 さん、実にうまいところを掴んでいる。
  午後、寮でブロック・フレーテを吹いたりして過ごす。

  仙台の S9 さんのスキルの高さには、本当に感服していました。


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