02.17

  午後3時まで寝てる。 ブロック・フレーテの練習。
  夕方、高円寺教会へ。 告解・ミサ・聖体拝領。
     今日の説教の要旨:神の御摂理におまかせしよう。
              神は私達を幸せにして下さる。
  夜、話し方教室の写真を入れて手紙を書く。 16通。

 
02.18

  昨日の説教が、ぼくにやすらぎを与え、たとえ発病だとしても大きい
  痛手はこうむらずにすみそうな気がする。
  もちろん、健康でありたいと願う気持ちが強いのは言うまでもない。
  タイパ訓練を担当。 事故処理を中心にした部分。
  午後、医務室で受診。 聴打診では異常は認められないとのこと。
  また、赤沈は 1時間 11mm、2時間 4mm でこれも O.K.  37.3℃。
  注射と投薬。

  以前、結核で療養生活を送った「前科」があるだけに、
  とても神経質になっていました。

  M さんにも、ちょっと弱気な手紙を書いてしまった私でした。

  X線検査で、やっと一安心できたのでした。
02.19

  一日中、度数計算についてもう一度考えてみる。
  室内の湿度が高いからか、鼻の調子がよくない。
  夜、37.1℃ 。 背痛が続いている。
  Wrote to M さん。
02.20

  午後、青山の健康管理所へ。 X線撮影。 異常はない由。
  Deo, gratias !
  四谷・イグナチオ教会に立ち寄って戻る。
  十分に静養したい。
02.21

  午後、タイパ訓練を担当。
  夜、新宿クラブで O 先生、T12 先生の送別会。
  あと I3 さんと飲む。
  H2 君に名古屋行きの件、電話入れる。

  学園の教官も定期異動で各地に転勤します。
  同期のメンバーで開いた送別会でした。
  来週、名古屋への出張が決まり、名古屋にいる同期の H2 君にその旨、
  電話したのです。
02.22

  一日中、タイパ装置のオペレーション訓練を担当。
  訓練生に Memory Dump のプログラム作成をやってもらう。
  夜、補正テープからのデータ挿入のプログラムを作成。
  事故処理の個所で、訓練生の S9 さんのアイディアで修正すれば
  メモリ不足は避けられることが判明。 すばらしい。
  夜、10時、36.9℃ 。

  三名の訓練生の中で S9 さんは抜群の理解力で、プログラムの作成でも   
  実力を発揮していたのでした。
02.23

  タイパプログラムの訂正部分をテストしようとしたが、出力アラームで
  やむなく中止。
  パンチャーの仕事、終了。 ご苦労様でした。 皆さんとてもいい人たち  
  だった。
  夜、西方荘で係の5人でマージャン、夕食。 事務処理要領の一次案の
  打ち上げ会といったところ。
  皆にも勧められ、来週の出張の際、休暇をとって九州まで足を伸ばす
  ことにする。 帰省の機会は少ないので、これもいいだろう。
 


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