08.12

  朝寝して、ラジオを聞き、昼寝してから雑誌を読む。
  夜、高円寺教会でミサ。
  昨夜は、日誌を開いたまま眠りこみ、3時過ぎに目覚め、あらためて
  消灯して床につく。
  俺は今、誰かを、何かを必要としているようだ。

  私は、中学を出てすぐに就職しました。 それで「学ぶこと」に飢えて
  いたのです。
  NTT の研修制度を受験したのも、そういう背景があったからです。
  「学ぶこと」を優先する日々が、結婚などを現実的なことがらとして認識
  することから遠ざけていたように思います。
  その気持ちが、時々揺れはじめているのでした。
08.13

  A さんのフローチャートからのコーディングをする。
  所々で納得できない部分が出てくる。
  夜、風は涼しくなるが、蚊が多くてやりきれない。

    聖主みあるじの御体と御血が差出されているに拘わらず
    余りに多くの人がそれに対して無関心である為、聖主の味わい給う
    悲嘆はどんなであろう!  (「ミサ聖祭」 p.144) 
08.14

  昼休み、少しカードを教わる。 面白そう。
  人事異動。 Y 課長が管理課長に。 Y2 補佐は北陸の部長へ。
  夜、FACOM のマニュアルを読む。

  通研では、コントラクト・ブリッジが盛んでした。
  全国大会で活躍するほどの人が何人もいました。
  私も昼休みに少しずつ教わりはじめたのでした。
       
08.15

  吉祥寺教会で夕のミサ。 パイプ・オルガンと聖歌隊による「歌ミサ」
  独唱パートの使い過ぎと、参集者が一緒に歌えないことは不満だが、
  こうした聖堂では一応の出来。

  ぼくは自分の信仰を疑ってはいないが、こうも heartless にミサに
  与っている自分には疑問を持っている。
  7年前のあの時、掟を守るということを巡って、躓いてしまってから
  この方、ぼくの信仰は半ば失われ、取り戻すすべをなくしている感じ
  なのだ。

  8月15日は、「聖母被昇天の祝日」としてミサに与ることが義務づけられ  
  ていました。 (現在は、そうではありませんが)
  それで仕事が終わって、夕方のミサに与っているのです。
  このような「守るべき祝日」が、当時の日本の教会では年間に4日。
  クリスマス、御昇天祭(復活祭の40日後の木曜日)、聖母被昇天祭(8/15)、
  諸聖人祭(11/1)が、それです。
  仕事をしている身としては、時としてこれが負担になっていました。
  この時点の職場は、その点、自由度があって恵まれていました。
08.16

  9時過ぎまで A さんと残って仕事する。 
  いよいよ来週からシミュレーションだ。 夜間の仕事が多くなるだろう。  
  次の日曜あたり、海へ行きたい。 少しは日焼けしておきたい。
 
08.17

  午後、一応すべてのプログラム作成を終え、いよいよテープさん孔に
  とりかかる。 久方ぶりのタイプだが、昔の経験が役立ちそう。
  6時まで楽しんでやる。

  通研では、当時はプログラムを紙テープにパンチしていました。
  これは NTT での特徴で、私も電報局で電報を紙テープにパンチしていた
  時期があり、タイピングは得意でした。
  私のいた電報局では、米軍キャンプとの間の回線があり、欧文電報も
  日常的に取り扱っていたのです。
08.18

  パンチ作業、調子が出てきた。

  午後、武蔵野音楽大学でパイプ・オルガンを聴く。 すごい大きさだ。
  これで 4,140本の由。 ヨーロッパのもっとでかいのってどんなだろう
  と思う。
  秋元さんのバッハ、ニ短調のトッカータとフーガなど。
  もっとも、このホールの残響(1.9秒)では、オルガンのためには少々
  短すぎる。
  いい勉強になる。 ストップのプリセットというのは面白い考え方だ。

  午後の行事は、電子楽器研究会の催しで、私の電子オルガンの先生の誘い
  で参加させていただきました。(江古田キャンパス)
  秋元(道雄)さんは、日本の代表的なオルガン奏者で、私の先生の音大
  時代の恩師だと聞いています。

  パイプオルガンのストップのプリセット:これは電算機のプログラムとも
  共通するアイディアのように思えたのでした。

  参考:<ウィキペディア>:武蔵野音大のパイプオルガン


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