甲子園教会で起こったこと

甲子園教会ではこれまで活動していた信徒組織が解散になるなど 不自然な状態が発生しています。

このページでは、客観的な事実の記述と私の意見とを記して、 その原因を探ります。

皆さまのご感想とご意見をお聞かせいただければ幸いです。

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問題の発端 : T神父の異動

私の疑問1 : 誰かが嘘をついている。

私の疑問2 : 異動の真の理由は?


  

* 問題の発端 : T神父の異動

《事実》

  1997/10/19 池長大司教様、甲子園教会を訪問し、T神父の異動を発表。

  その席で、数人の信徒から残留のお願い発言あり。
  大司教様は「私がくだした判断を受け入れてください」と回答。

  T神父、甲子園教会を去る。(退去日付は不明、その週のうちか?)

《私の考察》

  次のようなことから、この訪問は異例の出来事。
      ・大司教様が来られることは、数日前に通知された。
      ・当日のミサは、大司教様ではなく、主任司祭が司式した。
      ・当日は、甲子園教会の秋のバザーであったが、それに参加することも
        なく帰路につかれた。

  '99/1/22 付けの大司教様から私への手紙によると、
  大司教様は、T神父に対して「一週間以内に甲子園教会を出るように」と
  言い渡しておられます。
  その理由として「これまでの教会の例と同じようにT神父様と周囲の方々
  との人間関係の難しい状態が、より多くの人に広がってゆく危険があった
  からです」と説明なさっています。
 
《私の意見》

  教区司祭の人事権が大司教様にあり、それをどう行使されるかは大司教様の
  権限に属することは十分承知しています。
  したがって、T神父の異動そのものには何の異存もあろうはずがありません。

  一般社会では、人事は「当該組織の活性化と構成メンバーの士気高揚」を
  図る目的で行われるのが常です。
  このことは、教区人事においてもほぼ同じことかと愚考いたします。

  そういう視点でこの人事を見ると、あまり賢い選択ではなかったと思います。
  それは、この人事が「T神父自身の名誉をはずかしめ」「甲子園教会の信徒
  の間に分裂を引起こし」ているからです。

  T神父が失意のうちに甲子園を去ったことは、恒例の「お別れお茶会」が開
  かれなかったことからも推察できます。
  もちろん、重大な「とが」がある時、それを公にして懲戒人事を行うことは
  どの社会でもあることです。
  ところが、今回の場合、そうした説明は一切行われていません。

  甲子園教会の信徒の中には、T神父の不都合を大司教様に訴える署名活動が
  行われた結果だという噂が流れ、それが信徒の分裂をもたらしています。

  私の最大の疑問は、
      翌年春の人事まで待てなかったのは何故か?
  です。

  T神父が、他人の生命を害したり、教会建築を破壊したりという緊急に禁止
  を命じなくてはならない行為をしたのであれば、そのことを公表して、懲戒
  人事を行うのは当然です。
  あるいは、他の小教区で司祭の補充が早急に必要だというケース等であれば、
  甲子園の信徒も納得してT神父に別れを告げたことでしょう。

  そういうケースでなければ、翌年の人事で『さりげなく』異動を行うことで
  十分ではなかったのでしょうか。

  構成員に不信感と分裂を生み出してまで、あのように唐突に行う必然性があ
  ったのでしょうか。

  一般社会で、人事にいささかでも関わった「俗人」として、この人事を評価
  すれば『拙劣』といわざるを得ないのです。

  人事管理の責任者にとって『拙劣な人事権の執行』は恥ずべきことです。
    
  

* 私の疑問1 : 誰かが嘘をついている。

《事実》

  大司教様は、'99/1/22 付けの私への手紙で、次のことを明らかにして
  いらっしゃいます。

      実は、後で安田大司教様にもう一度確認いたしましたが、T神父様を
      甲子園教会に住むように指定されたとき、T神父様にはっきりとミサ
      以外には教会の事柄にまったく関与しないようにと申し渡されておら
      れました。それにもかかわらず、T神父様は皆様がご存知のとおり、
      教会の事柄に深く入ってゆかれました。教会の事柄や教会の信徒に関
      わらないようにという司教判断と、司教の指示は小教区司祭にとって
      誰の言葉よりも重視される事柄です。たとえ現在の主任司祭からの頼
      みであれ、信徒からの要請であれ、司教の命令に反する行動を頼まれ
      た場合、どちらを優先させるべきかは明らかなはずです。もし司教の
      指示に従っていれば、今回のような事柄は起こっていません。

《私の考察》

  1)T神父が甲子園に着任するにあたり、安田大司教様から「ミサ以外の
      事柄に関与しないよう」指示されていたことは、私たちもよく承知し
      ていた。
     '97/4/13 主任司祭アントニオ神父が着任した日の説教の中で、同じこ
      とを説明している。

  2)この説明に対して、信徒評議会のメンバーからT神父がもっと積極的
      に甲子園の司牧に関わって欲しいとの意見が出る。(4/20)

  3)安田大司教様、主任司祭、T神父が話し合い、一定の整理が行われる。

  4)4/27 のミサの中で主任司祭より「大司教様との3者会談で、T神父が
      甲子園の司牧に関われるようになった。これはもともと私も望んでい
      たこと」との説明があった。

  以上のことから、大司教様の手紙の内容は、1)の時点の大司教指示に関
  するものであって、3)についてはまったく触れていないことが分かる。

《私の意見》

  甲子園の信徒の立場で考えると、

  ・安田大司教様は、上記 3)の席でどのような指示をなさったのか?
    そのことを、池長大司教様に何故伝えていないのか?
    それとも、この3者会談は行われていなかったのか?

  ・この3者会談が行われていないとすれば、4)のミサ中の説明は何を意
    味するのか? 
    主任司祭が、偽りの説明をしたとすれば、その目的は何か?

  ・あるいは、池長大司教様が 3)の事実を隠蔽しているのか?

  いずれにしても、誰かが『嘘』をついていることになります。

  甲子園教会の信徒の間に分裂と不和が生まれている中で、教会の責任者の
  発言に偽りがあるという「事実」は、私の「大阪大司教区」に対する不信
  感を助長するのに十分な根拠を与える結果となりました。

  私は、'99/1/22 付け大司教様からの手紙をきっかけに、教会の行政面に
  対する深い不信感、批判的な目を身につけることになりました。
    
  

* 私の疑問2 : 異動の真の理由は?

 《事実》

  '99/1/22 付け大阪大司教様からの手紙には、T神父異動の理由に関して
  2つの記述があります。

  1)実は、後で安田大司教様にもう一度確認いたしましたが、T神父様を
      甲子園教会に住むように指定されたとき、T神父様にはっきりとミサ
      以外には教会の事柄にまったく関与しないようにと申し渡されておら
      れました。それにもかかわらず、T神父様は皆様がご存知のとおり、
      教会の事柄に深く入ってゆかれました。教会の事柄や教会の信徒に関
      わらないようにという司教判断と、司教の指示は小教区司祭にとって
      誰の言葉よりも重視される事柄です。たとえ現在の主任司祭からの頼
      みであれ、信徒からの要請であれ、司教の命令に反する行動を頼まれ
      た場合、どちらを優先させるべきかは明らかなはずです。もし司教の
      指示に従っていれば、今回のような事柄は起こっていません。

  2)「一週間以内に甲子園教会を出るように」と短期間異動の言い渡しは、
      確かに私がしました。それもこれまでの教会の例と同じようにT神父
      様と周囲の方々との人間関係の難しい状態が、より多くの人に広がっ
      てゆく危険があったからです。

《私の考察》

  同じ手紙の中のこの2つの記述は、どう解釈すべきか?

  ・T神父がミサ以外のことに手を出したため、周囲の人と問題を起こした。

    このような事情の場合は、大司教様からT神父に対して、ミサ以外のこ
    とに関わらないよう注意すれば済むことと考えられます。

    また、このケースであれば、主任司祭の '97/4/27 の説明が「嘘」であ
    ったということになります。

  ・T神父と周囲の人との問題こそが、真の異動理由ではないのか?

    当時、T神父の不都合を大司教様に訴える署名活動が行われたという噂
    があります。

    この「不都合」が、ミサ以外のことに手を出したことを指していると考
    えるのは無理です。
    何故なら、甲子園教会の信徒は 4/27 の主任司祭の説明で、T神父がミ
    サ以外のことに関わることを承知していたからです。

《私の意見》

  以上のことから、T神父の不都合とされるものは、全く別の事柄だと推測
  できます。

  大司教様は私への手紙の中で2度、書いていらっしゃいます。
  冒頭には、

      この手紙は全く橋口様個人にのみ宛てるものですので、内容について
      も一切口外しないという約束のもとにお読み下さい。

  また最後にも

      繰り返しますが、この手紙も橋口様だけに対するものとしていただき
      たいと思いますので、よろしくお願いいたします。

  とあります。

  なぜ、このように「口外無用」に拘られるのでしょうか?

  手紙の中に、他人に知られては困る事柄が含まれているからだと思ってし
  まいます。その個所とは・・・?
  
  組織の責任者が、このような手紙を書くことで、その「見識」が疑われる
  とは考えないのでしょうか?

  こうして、私の教会行政への不信感は、ますます膨らんで行くのです。