パウロさんへの手紙 F :性の異常について

その1:性の異常は罪か?
その2:判定できない性がある。
その3:性同一性障害
その4:同性愛者は神様の失敗作か?



  

* パウロさんへの手紙 F :性の異常について

その1:性の異常は罪か?

今日から数回、同性愛についてパウロさんにお尋ねします。

    正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いを
    してはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色を
    する者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者
    は、決して神の国を受け継ぐことができません。(1コリント6:9,10)

    すなわち、次のことを知って用いれば良いものです。律法は、正しい者のため
    に与えられているのではなく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す
    者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、みだら
    な行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のた
    めに与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与え
    られているのです。(1テモテ1:9,10)

あなたにとって(男性)同性愛者は、泥棒、殺人、誘拐と同じ罪深さなのですね。
そして、あなたのこの視点は確かに現在の教会にまで引き継がれています。

    客観的な道徳的秩序によれば同性愛の関係は、本来あるべき規範を欠いている
    行為である。
    (1975 教皇庁「性倫理の諸問題に関する宣言」)

パウロさん、あなたは(生物学的な)性の決定が受精の瞬間だけで決まるものでは
ないことをご存知でしたか?
もちろん当時の社会では知られていなかったことでしょう。

    (男の性染色体である)XY型であっても、SRY という遺伝子の働きいかんで女
    になる場合があるということが判明している。つまり、性の決定は受精の時に
    すべて決まるのではなく、発生の段階で決まる部分もあるということになる。
    遺伝的な性は決まっても、その後の身体の性の分化過程がスムーズに行われな
    かったとしたら、遺伝的な性と身体の性の間にねじれがでてきても不思議では
    ないのである。
    (2000 吉永みち子「性同一性障害」集英社新書)

男と女は、パウロさんが考えているほど「二者択一」の明快さではなく、数の上で
は少数派であっても、そこにはグラデーション風な多様性が存在すると考えられて
いるのです。

私は、パウロさんが現代医学の常識を弁えていないなどと非難する気は毛頭ありま
せん。知らなくて当然だからです。
ただ、同性愛についてきちんとしたことを知らないままに「人を裁く」という行為
は、誉められたものではないということだけは申し上げたいのです。

あなたの書簡の言葉が、多くの同性愛の人々を 2000年にわたって苦しめています。
あなたの言葉をよりどころに、教会は多くの「裁き」を宣告してきました。
これは神様の望むところではないはずです。

今回は、神様の創造のみ業の一部をおさらいしてみたいのです。

    受精後の胚は、七週までは生物学的にまだ未分化で、男女いずれにもなれる
    『性的両能期』と呼ばれる時期を過ごす。

    本格的に分化が始まるのは八週を過ぎてからで、Y染色体を持った男の子は、
    Y染色体の精巣決定遺伝子の働きで睾丸が形成され、精巣からさかんに男性ホ
    ルモンを分泌しはじめる。
    その影響で両方備わっていたうちの女性用のミューラー管を退化させ、男性用
    のウォルフ管を発達させる。
    そして、十週目を迎える頃には、陰のう、陰茎といった外性器が作られていく。

    形成された睾丸から分泌される男性ホルモンをシャワーのように浴びた脳は、
    男の脳へと決定されていく。男性ホルモンのシャワーを浴びないと、女性の脳
    ができあがる。
    この時期に、睾丸が形成されていても、何らかの理由でホルモンシャワーを十
    分に浴びないと、身体は男でも脳は女の脳に分化していくと言われている。

    生物学的な性の決定には、分化できる時期が決まっていて、あらかじめ決めら
    れたメカニズムに従い、一定の順序にのっとって行われる。そのため、分化の
    過程で、そのひとつに欠陥が生じたり、時期を逃したりすると、もはや後戻り
    ができない。ちょっとしたズレでも、身体は女なのに男の脳や、身体は男なの
    に女の脳といった現象が起こりうるということである。
    (前出「性同一性障害」)

この説明が医学的に100% 正確かどうか、将来、多少なりとも修正される可能性に
ついては疑義があるかも知れません。
しかし、数多い人の誕生の中には、必ずしも典型的ではないケースが存在すること
を否定することはできないでしょう。

生物学的なオス・メスの機能に障害があって受精を果たせない例は、人のみならず
自然界では数多く見られる現象です。
パウロさんは、それを『罪』だとおっしゃいますか?

結婚して子供を望んでも得られないカップルを『罪人』と断罪しますか?
決してそんなことはしませんよね。
つまり、生殖機能のトラブルに関しては「子供は神様からの授かりもの」というや
さしさで対応しているのです。
(もっとも、古い家族主義の立場からは、そういうカップル、とりわけお嫁さんに
対して冷たい目が注がれるという現実が今も存在しています。)

ところが、同じ性に関するトラブルでも、先ほど見た「肉体の性と脳が認識する性
が一致しない」トラブルなどに関しては、それを倫理的・道徳的に裁こうとしてい
るのです。

パウロさん、現代の知識をもとに、あなたの書簡の言葉を「読みなおす」ことに目
くじらを立てないようにお願いします。

    あなたが知らないままに行った「断罪」を、現代の教会がそのまま踏襲するこ
    とのないように。

    神様のご計画のうちに誕生した「愛すべきひとりひとりの個性」が尊重される
    ように。

    性という目を塞ぎがちな部分をしっかりと見据え、いわれのない「断罪」に苦
    しむ性同一性障害や同性愛の人が偏見から解放されるように。

これからも、このテーマでパウロさんへの手紙をつづけます。
パウロさん、いやがらずに読んでくださいね。

                                             2000/3/12      jiji@japan

  

  

* パウロさんへの手紙 F :性の異常について

その2:判定できない性がある。

パウロさん、今日は性の異常のうち、半陰陽について話させてください。

    神は御自分にかたどって人を創造された。
    神にかたどって創造された。
    男と女に創造された。(創世記 1:27)

確かに神様は人を男と女に創造されました。
99% 以上はその通りです。
ところが、数は非常に少ないのですが、生まれてきた赤ちゃんの性が医者によって
も判定しがたいケースが存在するのです。

    若い母親が出産した。生まれた瞬間に耳にしたのは、助産婦の「あれっ?  男
    の子?  女の子?」という怪訝そうな声だった。そして、医師たちは母親から
    も父親からも赤ちゃんを隠したというのだ。外的な奇形を持つ子が生まれた場
    合、出産直後の母親には事実を伝えなくても、父親や家族には伝え、適切な処
    置ができる医療機関に転送する。しかし、半陰陽の赤ちゃんが産まれた時は、
    どちらにも一週間ほど事実を告げず、赤ちゃんを隠してしまう。そして、その
    間に医療側がどうしたものかと性別の判定をする。
    一週間後、初めてわが子との対面したその母親は「男か女かわからない」と告
    知された。それはどういうことなのか、唖然とする母親に、医師は、でも女の
    子に決定すると言い渡した。どういう経緯でそう決めたのか、医師は生まれた
    子に女の子としての養育の性を与え、外性器手術を三回も受けさせ、性腺も摘
    出してしまった。しかし、成長するにつれ、その赤ちゃんは、女の子らしくな
    らず男の子の特徴を持ちつつある。
    (吉永みち子『性同一性障害』より。以下の引用も同じ。)

確かに男と女の判定は、大部分の場合、誰の目にも明らかです。
ところがごく少ないとはいえ、男と女の判定が困難なケースは存在するのです。
神様はそのような赤ちゃんをも『神はお造りになったすべてのものを御覧になった。
見よ、それは極めて良かった』(創世記 1:31)とおっしゃるのではないのでしょ
うか。

半陰陽の原因としては、性ホルモンの変異と、性染色体の変異のふたつがあるそう
です。さらに、

    性ホルモンの変異:男性仮性半陰陽性精巣性女性化症
                      先天性副腎皮膚過形成症
                      非進行性単純女性半陰陽

    性染色体の変異  :クラインフェルター症候群
                      混合型性腺形成不全症候群
                      真性半陰陽
                      四十六XX男性

という区分が可能だといいます。

    このように、半陰陽が出現する経過は様々だし、成長過程も性自認も個人差が
    ある。それなのに、男と女、ふたつのレッテルのどちらかに強引に分類されな
    ければならないところに、彼らの苦悩は存在する。
    誕生したばかりの命を前に、外性器の形態からどっちのレッテルを貼ろうか迷
    う医療サイド。母親の体外に出て、懸命に生きている命が初めて感じる空気は
    緊張し、初めて耳にする声は戸惑いのため息である。きちんとした説明もなく、
    喜びから不安に突き落とされる両親は、何もわからない暗闇の中で男か女か決
    めなければならないのだ。

    人々は、戸籍に記載するために、ただちに外性器の形状によって男か女か判断
    され、それによって生き方まで左右される。

    まだ目もあかない子供の人生が、まさに外見で決定されようとしている。しか
    し、ある判断を下された生身の人間の内的な世界が、それによりどれだけ浸食
    され、傷つき、崩壊していくか。どちらがこの子の幸せにつながるかという問
    題を、わずか二週間で、混乱の極みにいる親に決断しろという方が無理である。

パウロさん、これは聖書の問題ではなく、日本の法律の問題かもしれません。
ただ言えることは、男と女に単純に区別することだけが「神様の創造された人」の
姿のすべてではないという事実です。
人は生まれながらに、男であったり、女であったりが確定しているのではない。
少なくとも半陰陽のケースでは、はっきりとそういうことができます。

男と女の区別が、単に外見だけで行えないケースは確かに存在するのです。
そして、外見だけで男と女を区別してはまずいケースは、半陰陽だけでないのです。

引き続き、そんなことを考えてみたいと思います。
パウロさん、嫌がらずにお付き合いください。

                                             2000/3/14      jiji@japan

  
  

* パウロさんへの手紙 F :性の異常について

その3:性同一性障害

パウロさん、今日お話したいのは性の異常のうち、身体の性と心の性との間にねじ
れを抱いて悩んでいる人々のことです。
前回の半陰陽のようにあいまいな性ではなく、身体の性ははっきりとしています。
ところが「性の異常は罪か」の項で紹介したように受精後の胚の分化の過程である
種のトラブルがあると、それが脳の形成に影響を及ぼし、生まれた子供は性の自己
認識に関して「障害」をもつという説明がされています。

    生物学的な性としてのセックスと、社会的・心理的な男性性と女性性、性役割
    を表す性としてのジェンダーを、区別して考えなければいけなくなっている。
    このふたつは肉体的な性と頭で理解している性と言い換えることができる。
    もちろん、生物学的な性と社会的・心理的な性は、ほとんどの人の場合、一致
    している。つまり性同一性(gender identity) を持っている。が、ごくまれに
    ではあるが、肉体の性と頭の性が一致しないケースがある。性の同一性を欠い
    たこういう状態を、性同一性障害(gender identity disorder)と呼ぶのである。
    性同一性障害とは、肉体的な性に違和感を感じているすべてを包括した言い方
    で、その中にはいろいろな人たちが含まれている。
    ”トランスヴェスタイト”は、服装倒錯者、異性装嗜好者などと訳されている。
    男性で女装すると気が休まり、本来の自分にかえったような安心感を覚える。
    女性の場合でも、男装をしていると気分が落ち着き、満足できるという人たち
    のことを指す。
    (吉永みち子「性同一性障害」より、以下同様)

私は、そのような体験をもたないので、トランスヴェスタイトを理解することはで
きません。ただ、奇妙な好みだとは思っても、それを倫理的・道徳的な罪だと受け
とめることは決してありません。

    これに対して、”トランスジェンダー”と呼ばれる人たちは、異性の服装をす
    るだけでは気がすまず、社会的にも異性として扱われたい、異性の役割を果た
    したいと強く願う。女性の場合で言えば、男性の服装をし、男性として仕事を
    する。男性の場合は、女装し、女性でなければできない仕事を欲し、外科的な
    方法や女性ホルモンを用いて乳房を形成したりする。が、男女ともに性器まで
    も変換しようとする意識は希薄である。

このような人が周囲に現実に存在することは知っています。マスコミも興味本位の
ひやかしのスタンスではありますが、時々取り上げている内容です。
子供の頃からそういう傾向の人を見てきましたから、単なる性の興味とか、わがま
まではないことを知っています。
私たちが思春期に経験する異性への関心の高まりなどとは違う、本人にとっては、
深刻な問題であることは明らかです。

    さらに進んだ形で、完全に異性の身体を望んでやまないのは、”トランスセク
    シャル”と呼ばれている人たちである。
    女性の場合は、乳房を取り去り、卵巣からの女性ホルモンを断ち切り、男性ホ
    ルモンを入れ、ペニスをつけて、裸の状態で完全に男にならなければどうして
    も精神的な落ち着きを得られない。男性は、乳房をつけ、ペニスを取り去り、
    精巣からの男性ホルモンを拒否し、女性ホルモンの投与を受ける。

1998年10月16日、日本国内で初めて、医療行為として性転換手術が行われました。
執刀医の埼玉医科大学原科孝雄教授は、その患者を1992年から診察しており、最初
はこの分野に関して全く関心を持っていなかったといいます。
ところが患者の訴える苦しみを次第に理解するようになったということです。
原科教授は医事法学者の意見を聞いたり、精神科医に患者のケアを依頼するなど、
慎重に動き始めます。
1993年にオランダで開かれた性転換の学会に出席した教授は、次のような感想を述
べています。

    初めて参加したわけですからね。ただ驚きました。出発するまでに、いろいろ
    な本を読んだり勉強はしていたつもりなんですが、人権という観点からは考え
    てなかったんですね。学会に参加して、一番深く印象に残っているのは、HUMAN
    RIGHT という言葉がたくさん飛び交っていたことです。ああなるほど、これは
    人権にも関わることなのかと、初めて意識させられました。

パウロさん、性同一性障害とはそのようなもののようです。
目の見えない人が見えるようにと望み、歩けない人が歩けるようにと望み、それを
イエス様が癒されたあの状態と同じようなのです。

原科教授は1995年、埼玉医大の倫理委員会に性転換の外科的療法の倫理的判断を求
めた申請を提出します。
1年後答申が出たのを受けて、日本精神神経学会も特別委員会を設置し、診断基準
の明確化と治療に関するガイドラインの策定に取りかかります。
興味本位ではない、医療の立場からの動きです。
1997年、答申と提言が出されました。
   ・ 医療チームを前提にすること。
      精神科医、外科医、形成外科医、泌尿器科医、産婦人科医、内分泌専門医、
      小児科医、臨床心理士、カウンセラー、ソーシャルワーカー。
   ・ 診断のガイドライン
      「性の自己認識の決定」「生物学的性の決定」「除外診断」「診断の確定」
   ・ 治療のガイドライン
      「精神療法」「ホルモン療法」「手術療法」

      精神療法の部分は、欧米で「リアルライフテスト」と呼ばれるものだそうで
      す。

      ホルモン療法や手術療法まで進んだら、もう後戻りはできない。不可逆性の
      処置を一気に望む前に、そうなった時の自分や自分の生活を、冷静にシミュ
      レーションしていくのは、とても大事なことだといいます。

      答申では原則一年以上と定めています。

提言の冒頭にある言葉を記して今日の手紙を終わりますが、これはパウロさん、教
会に向けても呼びかけられたものではないでしょうか?

    性同一性障害をはじめとする、性にまつわる問題に対して、精神医学をはじめ
    とする医学はこれまで、一部のものを除いて、正面から取り組むことが少なか
    ったように思われる。今後、性同一性障害の診断と治療を契機として、性をめ
    ぐる問題が医学的に正当な地位を占めることを期待して、以下の提言を付け加
    えたい。

私はひとりのキリスト者として、現に性の異常で苦しんでいる人を「聖書の言葉」
を根拠に裁く立場には立ちたくありません。
パウロさん、あなたはいかがですか?

                                             2000/3/17      jiji@japan
  
  

* パウロさんへの手紙 F :性の異常について

その4:同性愛者は神様の失敗作か?

パウロさん、確かに神様はおっしゃいました。

    神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女
    に創造された。
    神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
    海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(創世記1:27,28)

ほとんどの場合、人は男と女に区別できます。ところがごく稀にですが、男女の区
別を医者ですら判断しかねるケースが存在することを前々回の手紙で紹介しました。
このケースは、神様の創造のみ業での失敗なのでしょうか?  それとも神様は稀に
そのような存在を意図的にお造りになったのでしょうか?

同様に、望んでも子供に恵まれないカップルが結構多数存在します。彼らは神様の
命令「産めよ、増えよ」に逆らう罪人なのでしょうか?
例えば夫の側に原因があるとして、それは彼の責任だとパウロさんは彼を非難する
のでしょうか?
彼が例えば無精子症だとして、それは神様が彼をそのように創造なさったというこ
とではありませんか?  それだけの理由で、彼を責めることはできないとは思いま
せんか?
そうなった理由は私には分かりませんが、神様は創造のご計画のうちに彼をそのよ
うに造られたと考えることはできないのでしょうか。

神様は、確かにほとんどの(あるいは大部分の)人を男と女に造り、子供を産み・
育てるという創造のみ業に参加させていらっしゃいます。しかし、少数であっても
その招きに応じることのできない存在を、確かに造っていらっしゃいます。
その人々は好んで「性の判別不能」や「妊娠できない」状態を選び取ったのでは決
してありません。

ところで、私たちが年頃になって異性を恋するのは「神様の命令に従うために、大
いに努力を重ねた」結果なのでしょうか。異性を愛する人々は、神様の命令に従順
な信心深い人々だとパウロさんはおっしゃるのでしょうか。
私には、神様がその人々に与えられた内なる傾向に従って、異性を恋するようにな
ってきたとしか思えないのです。

一方、子供の頃から、男の子なのに女の子の遊びに興味を示し、年頃になっても女
性に性的な関心を持つことのない人がいます。それは彼の罪深さでしょうか?
彼のうちに異性への性的興味が沸かないことは、彼の怠りでしょうか?

むしろ、神様はその創造のみ業において、大勢とはちょっと違う存在を少数だが創
造なさったと考えることはできないのでしょうか。
神様の失敗作ではなく、むしろ神様の創造の多様性をそこに見ることはできません
か?

最近の教会のカテキズムでは「同性愛者」の存在そのものを教会は「罪」とは言わ
なくなりました。
同性愛者(病人)が異性愛者(健康な人)に変わることを願うというスタンスのよ
うです。

パウロさんの言う
    正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いを
    してはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色を
    する者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者
    は、決して神の国を受け継ぐことができません。(Tコリント 6:9,10)
に比べれば、「行為は認めないが存在は受け入れる」方向に変わりつつあります。

パウロさんは、これを教会の堕落だとお怒りでしょうか?
それとも、パウロさんの時代・地域・文化では、そのような理解が不足していたの
で、教会の見解の変化はむしろ好ましいとお考えでしょうか?

パウロさん、あなたの書簡を振りまわす人々が多くの同性愛者を苦しめてきました。
2000年にわたって、教会による性的少数者に対する迫害は続いています。

是非、あなたの本当の気持ちを聞かせてください。
あなたは、「半陰陽」や「性同一性障害」や「同性愛者」を彼らのわがままの結果
だとか、神様の失敗作だとお考えですか?
それとも、理由は人には分からないが、神様の創造のみ業の多様性のひとつであり、
神様は彼らのことをもまた「良しとされた」と思い直していらっしゃるのでしょう
か?

パウロさん、あなたはあの書簡の著者として、それに答える義務があると思います。
どうか、あなたの本心を聞かせてください。

                                             2000/3/29      jiji@japan