はやくも2月に


はやいもので、今年もすでに2月。

・ 昨年末、新聞広告でこんなものを見ました。

  2011年度 新聞広告クリエーティブコンテスト 結果発表  
 入賞作品  テーマ:「仕事」
最優秀賞  「頑張れ、父ちゃん。」
 優秀賞  「きび団子のため、だけじゃない。」
 「一丁前」
 コピー賞  「一生を棒にふるような仕事がしたい」
 デザイン賞  「気持ち次第」
 学生賞  「七転び八起き」


  このようなコンテストの存在を知ったのもはじめてでしたが、これらのメッセージに込められた作者の思いに、
  おおいに興味をそそられました。
  とりわけコピー賞の「一生を棒にふるような仕事がしたい」というメッセージにくぎ付けになりました。

  私のこじつけ解釈になりますが、私がこのサイトを通じて訴え続けているイエスのメッセージ:イエスの生き方

    報いを求めず、誉れを欲しない  ⇒  最後は「野垂れ死」を甘受する生き方

  に一脈通じるものがあると思ったのです。
  そうです、遠藤周作「深い河」の中の美津子のあのせりふを思い起こさせる人生です。

    「さようなら」担架の上から大津は、心のなかで自分に向かって呟いた。
    「これで・・・いい。ぼくの人生は・・・これでいい」
    「馬鹿ね。本当に馬鹿ね。あなたは」と運ばれていく担架を見送りながら美津子は叫んだ。
    「本当に馬鹿よ。あんな玉ねぎのために一生を棒にふって。あなたが玉ねぎの真似をしたからって、
    この憎しみとエゴイズムしかない世のなかが変わる筈はないじゃないの。
    あなたはあっちこっちで追い出され、揚句の果て、首を折って、死人の担架で運ばれて。
    あなたは結局は無力だったじゃないの」
    しゃがみこんだ彼女は拳で石段をむなしく叩いた。
    

  リンク先 : http://www.pressnet.or.jp/adarc/adc/2011.html

  それぞれの作品の作者、意図などが詳しく記されています。


・ 今年は元旦が日曜日でしたが、ミサには与からずじまいでした。ということで今年最初のミサは8日の日曜日でした。
  福音書の朗読は「マルコ1章」の中の「最初の弟子の召命」の個所でした。

  この個所にはとても深い思い入れを持っています。
  カトリック信者は、召命という言葉からはまず「司祭・修道者としての召命」を思い起こします。
  ところが一人ひとりの信者に対して、神様はそれ以外にも「生き様を変えるよう呼びかけ」られることがあります。
  私は 1993年の春、京都・宇治の修道院の研修施設で6泊7日の黙想会(「私はだれか?」:ヨーロッパの成人信者
  向けの信仰再教育カリキュラム)を体験しました。
  私にとっては、この黙想会が<私なりの召命体験>でした。

  その時、作詞・作曲した作品が「呼んでいるのは、あなたですね」という曲です。
  DTM作品として制作したものを YouTube にアップしていますので、ここにも埋め込んでおきます。


  1.あなたの声が   闇のしじまで
    私を呼ぶのが   聞こえます。
    ささやくような  そよ風の音で
    呼んでいるのは  あなたですね。      (列王記 19:11)

      Oh, Jesus あなたが  私のこころに
      播いたみことばが   燃え上がります。
      Oh, Jesus あなたに  すべてをゆだねて
      何ももたずに     ついて行きます。

  2.あなたの姿が   朝もやの中で
    私をまねくのが  見えます。
    舟から降りて   ついて来なさいと
    呼んでいるのは  あなたですね。      (マルコ 1:16-17)

      Oh, Jesus あなたが  私のうちに
      注いだ いぶきが   みち溢れます。
      Oh, Jesus あなたに  すべてをゆだねて
      何ももたずに     ついて行きます。

    Oh, Jesus あなたが  私のこころに
    播いたみことばが   燃え上がります。
    Oh, Jesus あなたに  すべてをゆだねて
    何ももたずに     ついて行きます。

2012/02/10

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