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キリスト教にはバイブルという聖典があるのに対し、仏教は経典が多い。 おまけに文章が回りくどくてわかりにくい。こと漢訳の仏典はまるで謎の 記号で書かれている呪文のようだ。 (本書では)仏教の原点に立ち戻って、原初の宗教精神から説き起こして いる。 さらに、中国と日本における受容を振り返り、最後に、日本、インドと中国の 文化と関連しながら、3つの文化における仏教の特徴について分析を行う。 原始仏典の教えを読むと、これまで知られている仏教とかなり違う世界が 見えてくる。 万人の平等を唱え、迷信を否定する。女性差別をせず、呪術的な儀式を批判する。 本書の帯に「壮大な伝言ゲームの果てに」という名コピーがある。 振り返ると、仏教の解釈史は確かに壮大な誤解の歴史といえるかもしれない。 そうした誤訳、誤読、誤解のすべてを解くには多くの人たちの、たゆまぬ努力が 必要である。 著者による一連の仕事はそうした誤解を解くための、意味深い第一歩となるで あろう。 |
マタイ福音書22章 1 イエスは、また、たとえを用いて語られた。 2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。 3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。 4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。 『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた 家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』 5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、 6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。 7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。 8 そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、 ふさわしくなかった。 9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、 婚宴は客でいっぱいになった。 11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。 12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。 この者が黙っていると、 13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。 そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」所属教会の主任神父も説教の中で「・・・ではないでしょうか」という言葉を使う癖があります。