大震災に思うこと


ご復活おめでとうございます。

今年の復活祭は、東日本大震災で苦しんでいらっしゃる方々のことを思うと、
例年のようによろこび一色という気持ちにはなれません。
復活を迎える前に、大きな苦難があるのだということを、あらためて思い起こす
「四旬節・復活節」になりました。

私も16年前に、阪神・淡路大震災を体験しましたが、今回の被害の大きさ・範囲の広さ、
そして原子力発電所の問題など、苦難の度合いははるかに厳しいとしみじみ実感しています。

16年前の経験が、かなり活かされているとの報道に接し、ボランティア元年ともいわれた
あの時のいろいろを思い起こしていますが、それにも増してこころ痛むことは、原発の周辺
地域の方々が、避難先で受けているいわれなき「差別」の数々です。

福島県から避難した子供さんが、学校でのけ者にされたり、避難先のホテルで福島ナンバーの車が
忌避されたりと、無知からくる差別とはいえ、こころ痛むニュースを耳にするたび、人間の愚かさ・
弱さを思い知らされます。

それらが、風評被害であり・コメントするまでもないという意見もあるかと思いますが、私はあえて言いたい。


    あのような差別や忌避のことばを発する君たち。
    もし本当にその人から放射能が感染すると信じるのなら、
    むしろ、君にはその人と握手して欲しい。
    もし、握手でその人の放射能の10%が感染・減少するのなら、
    9人の友達を誘って握手してあげてほしい。
    もし、握手で1%が感染・減少するのなら、99人の友達を
    誘って握手してあげてほしい。

    そうすれば、君たちはみんな同じ程度の放射能に感染して
    苦しみを共にすることができるんじゃないか。

    差別するのではなく、一緒にその苦しみを担いあって欲しい。
    私もよろこんで君たちと一緒に、その人と握手でも・ハグでも        
    してあげたい。



「イエスという生き方」とは、そういうものだと思います。
私は、このサイトを通じてそういう信仰を宣言していきます。

2011/04/24

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