原爆投下の日に思うこと


今朝(8/16)の新聞記事に次のような文章がありました。

「謝罪」で自問続ける米国

  一人の米国人の姿がこの夏の広島を特別なものにした。ルース駐日大使。

    日本国内では、「核なき世界」を目指すオバマ米大統領の決意の表れとして米国の参加を歓迎する論調が目立った。

    米メディアは何をどう伝えたのだろう。キーワードの一つとなったのが「謝罪」だ。

  保守系ニュース専門局のFOXニュースは ・・・ ルース大使の出席は「無言の謝罪にあたる」との非難の声を報じた。
  一方、「ニューコーク・タイムズ紙」は広島からのリポートで、謝罪に対する日米の異なる思いを伝えた。

  「広島で取材した二十数人中、米国の謝罪を求めたのはわずか一人だった」とし、「私たちはオバマ大統領に、ここで
  起こったことを直接目にし核兵器廃絶への意思をより強くしてほしいだけだ」という被爆者の生の声を紹介していた。

          毎日新聞「論調観測」原爆投下65年 論説委員・福本容子

確かに広島の平和記念公園の石碑には「過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。
この文章をめぐっては「過ちとは何か? 誰の過ちか?」とその意味の不分明さを指摘する声もあるのですが
このような惨劇を二度と繰り返してはならないという多くの人々の気持ちをそこに読み取ることができるという点が大事なことでしょう。
それが日本人の、そしてこの地を訪れた多くの国々の人たちの率直な気持ちであろうと思います。

アメリカでの世論調査では、原爆投下は正しかった・それによって戦争が早期に終結し、より多くの人々の命が救われたという反応が多いようですが、
それがちゃんとした論理的な思考によって支えられたものだと言えるのでしょうか?
アメリカ政府などの一方的なプロパガンダによって、そう思い込まされているという背景はないのでしょうか?

最近出版された「原爆は日本人には使っていいな」というショッキングなタイトルの本があります。(岡井敏著、早稲田出版)
    ルーズベルトとチャーチルはこう決定した

  広島・長崎への原爆は軍事ではなく犯罪 ・・・ 真実が語られ(てい)ない
原爆投下は軍事作戦・戦術というよりは、むしろ人類に対する犯罪行動であるという考えは、大いに的を得ていると私は思います。
ナチスによるユダヤ人虐殺が、軍事ではなく人類に対する犯罪行動であるというのと同じ意味でです。
私たちはこの点にもっとポイントを置いて世界に向けて人類に対する大きな犯罪行為としての原爆投下を認識するよう訴えていくことが
大事ではないでしょうか。

アメリカの人々も「9・11」が軍事ではなく犯罪であると認識しているのではありませんか?
にも関わらず多くの米軍兵士を中近東のあちこちに派遣して、そこに住む無辜の人々にさらなる災いを撒き散らしています。

アメリカ国民には、もっと広島からの「過ちは繰返しませぬから」というメッセージを素直に受け止めてほしいものだと願います。
そのためにも、大勢のアメリカ人に広島・長崎で何があったかを知るため「広島・長崎」を訪問して欲しいと思います。
あなた方(アメリカ国民)が、あの事実をきちんと見据えたうえで、なおあれは正しかったと言えるのかどうか?  私はそれを知りたいと思います。
アメリカの宗教指導者の方々にもお願いしたい。 ぜひあの惨状をきちんと見定めてください。
神の似姿としてつくられた人間への犯罪であるというこの意見を前にして、米国の人々の原爆投下は正当だったという主張がなおも
良心に恥じないものであると言い続けられるのかどうかを、まじめに・正直に考えていただきたいと思います。

2010/8/16