着いたも同然


11月15日付け「カトリック新聞」に次のような聖書解説の文章があります。
     サンティアゴ巡礼路の最終目的地は、使徒聖ヤコブの遺骨のあるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂である。

     大聖堂の5キロ手前に「歓喜の丘」と呼ばれる高台がある。目指す大聖堂をついにその目にした巡礼者が、歓声を上げて丘を
     駆け降りることから、この名が付いたという。ここまで来ればもう、着いたも同然。その喜びはいかがばかりか。

     この、「実際にはまだ着いていないが、現実にはもう着いている」という状態は、実はキリスト教の救いの本質に属している。
     胸躍るこの幸いな段階こそは、神の国に向かって歩むように創造された人間存在の意味をはらんでいるのだ。

     もちろん、この丘でいいというわけではないのでさらに5キロの苦難の道を行くのだが、それはもはやそれまでの道とは違う。
     着いたも同然の喜びの中を歩む、喜びの苦難の道なのである。

とても興味深い解釈だと思います。
もっとも私の信仰生活を振りかえると、必ずしも実感のあるものとはいえませんが・・・
私は16歳で洗礼を受けました。カトリック社会では幼児洗礼という<伝統>がありますから、洗礼を受ける前の時間と洗礼後の
信仰生活の時間の長さを比べれば、洗礼以後の時間の方がはるかに長いというケースは決して珍しいことではありません。

ということは、洗礼によって救いの約束に与ることを実感したあの歓喜のときまでの時間と、それ以降の時間とを、
サンティアゴ巡礼路での「歓喜の丘」までの長い苦しい道のりと、残りの5キロの道のりとに対比させて考えるのは、
適切ではない、いやむしろ全くつながってこない比較のように思えてしまうのです。

たしかに「イエスの生きた時代」を「歓喜の丘」の瞬間と捉えるなら、それ以降の時間・今を含む「キリスト教の歴史」を、現実には
神の国が到来したとはいえない現実があるものの、着いたも同然・神の国が到来したも同然と理解することは出来るのかも
しれません。

私の実感としては、昨年夏、弟の死を前にして終油の秘蹟に同席した瞬間こそが、「歓喜の丘」であったように思えます。
それまでの弟の人生は、サンティアゴ巡礼路の長い苦難の道に似たものだったろうと思います。
死を半月ほど後に迎えることになった弟にとって、終油の秘蹟を授かったことは、着いたも同然の「歓喜の丘」の体験であった
ろうと思います。残りの3週間ほどを、肉体的には苦しい状態の中で過ごしましたが、おそらく着いたも同然の喜びのうちに
神が用意して下さっている救いを信じて過ごした時間であったろうと思います。

信仰は、そういう意味で生きていると思います。
宗教には、死を前にした人々(本人と周囲の人々)を慰める存在であって欲しいと願っています。

2009/11/13