イメージ:天国と極楽


今回は、軽い話題です。

「天国(と地獄)」はキリスト教の説く死後の世界であり、「極楽(と地獄)」は仏教の教えだということは
よく知られているところです。
ところが、現在の日本人はほとんど宗教とは関係なく、死後の世界を「天国」と受け止めているように感じます。
亡くなった家族や友人は、天国から自分たちを見守ってくれている・・・といった表現がよく使われています。

いまどき「極楽」という言葉は、スーパー銭湯の店の名に使われているくらいでしょうか。
たしかにゆったりとした湯船に浸かってリラックスし・「超気持ちいいー!」というような場面では<極楽!極楽!>と
いう言葉が口をついて出てきます。 小学生の孫たちもそういいます。
そこでは決して<天国!天国!>とは言わないようです。

私にとって、天国と極楽という<言葉のひびき>は、まったく違うものです。
          天国のイメージは、神を中心に救われた魂の大軍(大群?)が、絶え間なく<アーメン・ハレルヤ>と
          賛美の歌を歌い続ける<神の栄光>の場面です。

          私の印象では、地上でこれとよく似た雰囲気をもつのは、なぜか年末に多い「第九」のコーラスの中です。
          これまで20数回、第九のコーラスに参加した経験からそう感じているのです。

          とりわけ 655小節からはじまる二重フーガの個所は、他のどの個所よりも練習がむつかしく、歌っていて
          息つく暇もない緊張の連続する部分です。

          シラーの歌詞は、天上の父なる神を人々がひれ伏して崇め・賛美する様子を描いています。
          天国での栄光に満ち溢れた場面を十分に想像させる内容です。
神への賛美を高らかに歌い上げる情景は、まことに壮大でうつくしいものです。 天国のイメージとしてふさわしいもの
だと思います。
ただ、いささかしんどさを覚えるようになった自分に気づくことが多くなりました。

仏教のことをほとんど知らない私が描く極楽のイメージはこうです。
          暑い夏も去り、日の落ちた縁先に座る私の頬を涼しい風が気持ちよく通り過ぎます。
     取り込み忘れた風鈴がちょっとさびしげに音をだし、庭の草むらからは虫の音も聞こえます。

          月の光が夜の庭を照らし、木々に陰影を生み出しています。
          ひとり静かに飲む酒が胃の腑にしみわたります。
          そうだ、明日は誰かとこうして酒を酌み交わしたい。
          
          久しぶりに、LPレコードを聴きたいと思いました。
          D・F・ディースカウの歌うマーラーの歌曲を無性に聴きたくなりました。

          夜は、こうして静かに更けていくのでした。

     そういえば、昔おとずれた兼六園ちかくの万葉植物園で、こんな歌を発見し感銘をうけた
     ことを思い出しました。

         春の野にすみれ摘みにと来し我そ 
             野をなつかしみ一夜寝にける   山部赤人 巻八 1424

     季節はちがうものの、2つの情景には同じ<心情>をよみとることができる気がします。
明日、73歳の誕生日を迎える私は、こういう心境を大事に思うようになりました。

たしかにキリスト教は、私に多くのことを教えてくれました。

・ イエス様という方に出会わせてくれたのは、キリスト教でした。
・ イエス様の生き方にならうことを、人生の中心にすえることができたのもキリスト教のおかげです。

・ また、物事にとりくむ際に、将来的なビジョンをえがく習慣もキリスト教から教わりました。
・ アグレッシヴに目標に挑戦する姿勢もキリスト教からきたものでした。

今、人生の秋を迎えて、しかし私はキリスト教の提示する「天国」のイメージよりも、日本人が受け継いできた
「極楽」のイメージの方に、よりこころ惹かれているのでした。

2008/6/7