12.23 | 日 |
暖かい。 仙台からの三人の寮移転を手伝う。 保谷寮の方はいい。
午後、寮に戻り掃除。
ラジオでメサイア抜粋を聴いたり、ブロック・フレーテの練習をしたり。 |
仙台の三人が入居した寮はあまりにも汚く、A さんが通研にかけあって
新しい寮に引っ越せたのです。
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12.24 | 月 |
朝食抜き。 夕食はそばのみ。
午後から、タイパ装置の実験。 7時半まで。
高円寺教会で告解。 寒くなる。 終電に間に合いそうもないので
深夜ミサはよす。 |
当時のカトリック教会では、クリスマスの前々日は「大斎」と「小斎」
でした。 「大斎」日には、一日に一度だけ十分な食事をすることが
許されますが、あとは食べないか、普段の半分以下の量にするという
いわば「苦行」の日です。 また「小斎」は鳥獣の肉を食べない日で
これは毎金曜日にも適用されていました。
本来は、23日が大斎・小斎日ですが、日曜日にあたったため、
この年は24日に設定されたのだと思われます。
現在は、これらの掟は大幅に縮小されています。
24日の夕方からはクリスマス・イヴの典礼(儀式)があり、深夜12時
からは、クリスマスの深夜ミサが行われます。 |
12.25 | 火 |
タイパ装置の実験。 紙テープ3巻、一応、全部通す。
昼食時、話し方教室で一緒だった O 君に出会う。 電子部品研究室に
実習に来ている由。
夜6時のミサ、イグナチオ教会で与る。 聖体拝領。 |
O 君は、大学生だったのかもしれませんが、今、思い出せません。
深夜に果たせなかったクリスマスの義務を、夕方のミサで果たしたの
でした。 当時のカトリックでは教会の掟を守ることがとても強調され
ていました。 |
12.26 | 水 |
大局用システムグループのプログラム打合せ会。
便秘が続いている。 ソルベン服用。
話し方教室で一緒だった S8 君に電話する。 スキー行きの計画が
まとまった由。 ぼくにスキーは無理だ。 |
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12.27 | 木 |
朝、やはり便秘で苦しむ。 吉村医院で診察と投薬を受ける。
昼前、やっと排便。
年次休暇をとり、係の忘年会も欠席。 |
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12.28 | 金 |
泥状便が続いている。 朝食を抜く。
通研で冬休みの資料をまとめ、本社へ。
コンサートまで上野で時間つぶしに映画。
「バッカスの饗宴」全くくだらない作品だ。
街の雰囲気も何となく暮れらしくなった。
ミュンシュ。 「幻想」はオケが鳴りきれず物足りない。
ラヴェルのピアノ協奏曲は、まあまあ。
「ダフニス」はかなり面白かった。 実にいい指揮者だと思う。
「ハチャトリアン+コーガン」のチケットを求める。 |
この日は、御用納め。 当時は午前中で仕事を終えていました。
先日お流れになった日本フィルの演奏会です。
シャルル・ミュンシュ 指揮
ニコール・アンリオ ピアノ
日本フィルハーモニー交響楽団
ベルリオーズ 幻想交響曲
ラヴェル ピアノ協奏曲 ト長調
ラヴェル ダフニスとクロエ 第二組曲
ミュンシュの指揮は、'60/5/5 のボストン交響楽団との名演が強く印象に
残っていて、それを超えるものを求めることは無理だったのです。 |
12.29 | 土 |
午前中、寝てる。
午後、「度数計実施方法」を読む。 大体の構想は、はっきりしてくる。
夜、京響の第九(第4楽章)山田夏精指揮 on the air. あまりぱっと
しない。
横浜で撮った写真できあがる。 彼女は、ぼくのイメージではなさそう。 |
通研で始まった、私のプログラマ生活も半年が経ち、新しい仕事に無我
夢中で取り組む日々の連続の中、あっという間に年末を迎えました。
仕事はまだまだ前途多難な霧の中ですが、趣味や遊びで気を紛らわせ
ながら、何とか新しい展開をつかみたいと必死にもがいている、そんな
≪27歳≫ でした。 |